自分の命について考えてみませんか ~胃廔の問題を通して~
2012年10月
福島県農協会館診療所
所長 伊勢 重男

福島県農協会館診療所 所長 伊勢 重男
 最近私は次のような経験をしました。というのは、胃廔(いろう)を付けて介護されている認知症の方と家族及び主治医との間で、いざこざがあったからです。本人は「もう口から食べられるから胃廔をはずしてほしい」という要望があるのに対し、周囲は反対で「いつ認知症がひどくなるか分からないからそのまま付けておきたい」という意志のぶつかり合いがその原因でした。
 ところで、皆さんの中には、「胃廔」とは何かを御存じの方も多いと思います。
念のため云いますと、口からものを食べられなくなった人に対してお腹に穴を開け、胃に直接チューブを通して生きるための栄養を送る方法です。
 最近はこの方法が普及し、全国では約40万人の人が利用していると言われています。普及した分、ややもすれば安易に胃廔が作られ(造設され)、現在大きな社会問題となりつつあります。以下その問題点を考えてみます。
 一昔前胃廔は一時的に口から食べられない人、例えばのどの癌や食道癌などの手術を受け、口からものを食べられない期間のつなぎの栄養法として利用されてきました。つまり食べられるようになったら外すというのを前提にして一時的に利用することが大部分でした。ですから40万人も施行されているなどとは想定外のことだったのです。
 では、現在40万人が利用しているという事実は何を意味することなのでしょうか。それは(1)介護を要する高齢者が急増していること、(2)医学が発達して比較的簡単に胃廔造設が出来るようになったことによるものです。
 要介護者の中には、脳梗塞になって呑み込みが出来なくなったなど、いろいろな原因で食べられなくなった方が少なからずいるため、胃廔を造設している方が増えてきたというわけです。
 ここで問題となるのは、ただ単に認知症が進んで食べられなくなったり、老衰がひどくて食べる意欲がなくなった方に胃廔を造り、延命を図っているだけの場合が少なくないことです。
 このようなケースでは、ほとんど寝たきりでひどい床ずれを作っていたり、呼びかけにも反応しないで人間らしい知的な精神活動ができない方が多いようです。介護士がこうならないように懸命な努力をしていても、いずれはこのような状況に追い込まれてしまう場合も少なくありません。
 このような場合、単に生きているだけ、言い換えれば無理やり生かされているだけと言えませんか。
 ある人はこのような状況を実地に見て「これは介護による虐待だ」と極論する人さえ現れています。しかし介護する側からいわせてもらえるならば、虐待とは言い過ぎではないかと反論するでしょうが。
 私は、批判があるのは承知の上で敢えて言わせてもらえるなら、「このような状態にある人はほんとうに幸せなのだろうか、かえって人間らしい尊厳を奪っているのではないか」といつも悩んでいます。
 そうは言っても、いったん胃廔を造ってしまった以上、胃廔からの栄養補給を止めればいずれ死というものに直面しなければなりません。これはとても重くて深刻な命題です。ここでは、本人はもちろんその家族にもそれぞれの生死観が問われることになります。
 今までは、認知症になった本人には意思確認が無理なので、胃廔を造るかどうかは家族と医師、介護施設の間で本人の意向とは関係なく決められてきたのが慣例でした。
 しかし、これからは自分が認知症にならない前、つまり判断力がしっかりしているうちに、家族でよく話しあっておき、それぞれ自分が胃廔を造らされる立場になった時どうしてもらいたいか、自分の意思をはっきりしておくべきではないでしょうか。
 私自身について言えば、家族には次のように伝えています。「自分が老衰の末期でものが食べられなくなったら、それが自分の寿命と考えている。だから人間らしい生活ができなくなった時点で無理やり生かすようなことはしないでほしい」と。
 生き方、死に方をどう考えるかは人によってそれぞれ異なるでしょう。これを機会に自分の場合を考えてみたら如何でしょうか。  

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