以下の記事は、福島県厚生農業協同組合連合会(JA福島厚生連)「健康アドバイス」として、過去に掲載された情報のバックナンバーです。
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農家の皆さんへ

介護施設とは
2012年2月17日放送
介護老人保健施設久慈の郷
施設長 星 竹敏

農家の皆さんおはようございます。

今日は、我が国の介護の現状を、わかっているようで実はよくわからない介護施設の違いの説明などを加えて、お話を致します。

 人間は誰でも年を取れば、若い人と同じような動きはできなくなることは確かです。
 つまりは人生の晩年では、自分一人での日常生活維持は無理となるため、何らかの人の手での援助が必要となるわけです。それを介護と呼びますが、最近になって急に出てきた考え方では勿論ありません。
我が国の長い歴史の中では、大家族が普通でしたので、おじいさん、おばあさんが一人での生活維持が不可能になった時はその家族の中の若い人たちの誰かが、ごく普通に面倒を見、それができない時は地域の隣組の人たちが当たり前の如く交互に面倒を見ていたわけです。即ち、自然に介護という行為は社会の中にずっと定着していたわけです。

 しかし、20世紀の後半、つまりは日本では戦後のことですが、農業の衰退やら何やらで大家族から小家族へ、農村生活から都会生活への、日本史上空前の社会生活大変化が全国民に起こると、この自立生活ができなくなった高齢者の介護の担い手も同時にいなくなる仕組みが隠されていたことに、昭和の後半になるとようやく国民の誰もが気づくことになったのです。
 つまり、人間の善意でやっていた無償の高齢者介護は、古くからの社会生活の崩壊と共に、根本的に介護の担い手不在という現実のために、全く不可能となったわけです。
そこで、我が国では2000年に介護保険法を制定し、保険金制度でもって、つまり、無償ではなく有償での高齢者介護の道を構築しようとしたわけです。
 但し、現実には純粋の社会福祉の精神から出た話ではなく、昭和50年代からの医療費抑制の一環として、それまで多かった高齢者の社会的入院の調査をしたところ、この入院者以外にも家族が介護で大変な負担をしている例や介護放棄に近い悲惨な高齢生活者の存在などが判明したことが本当の始まりでした。
このような現実を踏まえ、日本政府の政策担当者が出した介護様式は、65歳以上の国民を第1号被保険者とし、40歳以上65歳未満を第2号保険者とし、40歳以上の日本国民より、所得に応じた介護保険料を市町村が徴収し、その保険金に国や県の税金交付補助を加えたお金で、介護費用を捻出すると言うものでした。
 勿論、何で65歳で線引きするのだという声もあったわけですが、本来なら知り合いに対して善意で行う無償行為を、赤の他人にさせる行為に法制化した場合、それへの対価を報酬という目に見える形にすること自体がそもそも無理なことなのですから、ある線で引かざるを得ないことに目くじら立てても仕方がないと言うことです。

 その介護の方法としては、大きく分けると、まず一つは在宅のまま生活している高齢者への対応であり、もう一つは自宅外、つまりは介護施設での対応とで区別したわけです。
勿論、両者とも基本的には家族の介護負担を軽減する目的であることは同じです。
 只、先ほども触れましたが、法律で決めること自体が無理なことが「介護」の本質ですので、そこを無理矢理公平を期そうとすると、大変な矛盾ができてしまうわけです。
 即ち、介護の必要な人に何でもかんでもお金をつぎ込めるほどの保険金額ではありませんので、介護の手が少なくて済む人には薄く、介護の手が多く必要な人には厚くという線引きが必要なわけです。
 ある家族が自分の家のおじいさんの介護に介護保険を使いたいと思って、市町村の役場などに書類を出した後、その高齢者の介護の必要度を決める「介護認定審査会」という「判定の場がそのためにあるわけです。
 そして、ここで、要支援1,2、要介護度1から5という7段階での介護必要度が判定されます。
ここまで話せばおわかりの如く介護度の数字が大きい人ほど介護の手助けへの報酬として保険金額が多く配布されます。勿論、在宅での介護よりは施設での介護の方が費用は多くかかりますので、介護度の低い人は施設に入所はできないことになります。
 この介護度で入所できない騒ぎがでることが、未だに家族の人たちの中で理解がない人が多く、この介護認定審査でのトラブルでは今も一番多いようです。

 さて、施設介護の方式はその目的に応じて、療養型病床、介護老人保健施設(略して老健)、特別養護老人ホーム(略して特養)の3種類があります。言葉だけで説明すると大変乱暴ですが、療養型は病気の治療もまだ少し残っている人の生活介護、老健は一応病気の治療はないが在宅生活できる力がまだ無い人の生活介護、特養は病気の無い人の生活介護という分け方で、始まっています。
 しかしながら、平成12年以来の実際の運用経験が重なっての現実や、社会の要請も変化が著しかったことも踏まえて振り返ってみると、ここまで、目的にあった入所区別の運用ができていたかということになるとそれは無理でしたと言わざるを得ません。
 この対策として、国は3年ごとの介護保険法改正で現実に合うような細かな変更を加えておりますが、国民の皆さんが納得するような形にするにはまだ道は遠いと思います。
 いずれにせよ、老健の位置づけは「リハビリをして自宅に戻れるよう支援をするところ」という基本姿勢を、未だ国は崩しておりません。
 この点が、療養病床は廃止の方向になり、特養は設置基準が厚労省管轄だったものが自治体の管轄に移行してきたところと最も違いのあるところです。
 只、介護が必要だと思った時点で、このような施設の区分はわかりにくく、殆どの方は全ての介護施設を「特養」のイメージ即ち、預けた高齢者がずっと入所でき、そこで一生を終える所と思っておられますので、老健の役割は違うんですよと言っても、殆ど理解を得られません。老健はあくまで自宅へ戻れるよう支援をするという基本から、入所期限があるという原則によったことすら「追い出された」と公言する人もいる始末です。
 ということで、老健に入所することは、家族の一時的介護負担軽減が主で、長期入所もリハビリをしないと介護報酬が国より支給されないことから、入所退所の前後で担当職員から、細かな入所基準説明が必要となり、皆様がうんざりすることになるわけです。

 老健の役割説明にもっと言葉を費やしたいところですが、時間もないので、最後の今後の展望として違う役割を担える可能性をお話ししたいと存じます。
 それは誰もが忘れられない昨年の大震災の時ですが、幸いにも私の所の老健は破損も最小限度であったので、機能的損傷もなく、直後には隣の病院の患者さんの一部を収容し、少し後に、他老健施設の利用者さん十数名も収容することができました。
 つまり、老健という施設は、睡眠、食事、排泄などちょっとでも障害があると人間には辛いことへの支援に最も適した形態を持っている施設だということです。
 まして、TV等での避難者の体育館収容での辛そうな生活スタイル放映を見てしまうと特に強く感じられます。
 地域でのこのような介護施設の本当の力に気がつかれるようお願い申し上げますと共に、
皆様の老健へのご支援を今後もお願い致します。